
「『正気の沙汰ではない』と言われた」赤字下の拠点...
8/7(木)
2025年
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高濱 正伸 2025/08/05
母の一言で救われたとはいえ、いじめがすぐに終わったわけではありませんでした。学校では死ぬほどの思いをしても、家に帰れば母の愛情に救われて忘れる。そんな日々の繰り返しでした。今振り返れば、この繰り返しの中で、私の心には少しずつ「免疫」がついていったのだと思います。
この経験を通して強く抱くのは、現代の過度な“除菌主義”への懸念です。「学校にいじめはあってはならない」という正論をかざし、子ども同士の些細なトラブルにまで大人が介入し、問題をなくそうとします。その結果、何が起こるか。心の免疫がないまま大人になり、理不尽で厳しい社会に出た時、いとも簡単に心が折れてしまうのです。
私は起業家を目指す若者たちを指導することもありますが、彼らは優秀で意欲的であるにもかかわらず、顧客からの少しのダメ出しで深く傷つき、鬱状態になってしまうことさえあります。本来は、否定や厳しい意見を何百回と浴びながら、より良いものへと改善していくのがビジネスの世界です。しかし、彼らは打たれ慣れていない。これは、我が国の教育における一つのウィークポイントではないかと感じています。
話を私の小学生時代に戻しましょう。いじめは1か月ほど続き、その中で私の心には、揉まれることでしか得られない強さが育っていました。そんな5月の半ば、次年度の児童会役員選挙の立候補が始まりました。私はクラスの腕白たちから、半ばからかいの形で副会長候補に推薦されてしまいます。
全校生徒約1,500人が集まる、立候補者演説会の日。私は壇上に立つ時、心に決めていました。「よし、ここで言ってやろう」と。
「5年6組の高濱です」
私が名乗りを上げて帽子を脱ぎ、横に置くと、案の定、私の頭の大きさに対して会場からどよめきが起こりました。私はマイクに向かって、こう言いました。
「みなさんの2、3倍の脳みそが入っております」
その瞬間、私の口がマイクに当たってしまい、「ワーン」というハウリングが響き渡りました。その音の面白さも手伝ってか、会場は爆笑の渦に包まれたのです。
結果、選挙には当選しました。そして何より、その翌日から、私へのいじめはぱたりとなくなったのです。本人が気にしてもじもじしているから、相手はいじめたくなる。自ら笑いのネタにしてしまえば、相手はいじめ甲斐がなくなるのです。
毅然とした態度でいれば、いじめは来ない。私たちは、そのことを子どもたちに教えなければなりません。身体的特徴などをからかう言葉がいけないと教えるだけでなく、「そんなことを言われても、びくともしない」という強さを育む経験こそが必要なのです。
一度どん底を味わった人間は、強くなります。中学1年生の時、私は再び学年全体から仲間外れにされる経験をしました。空前のバレーボールブームで入部したものの、厳しいしごきに耐えかねた同級生たちが、「全員で辞めよう」と申し合わせたのです。しかし私は、「このくらいで辞めるのはおかしい」と一人だけ部に残りました。
コートに一人で立つ私に、後ろから「裏切り者!」という視線が突き刺さるのを感じました。それからしばらく、同学年の誰もが口をきいてくれなくなりました。しかし、私にはもう小学5年生の時にできた「免疫」があります。「まだそんなことをやっているのか」という態度でいると、相手は面白くなくなるのです。この一件は、1週間もしないうちに自然と収まりました。
「仕事で一番辛かったことは何ですか」とよく聞かれますが、私は決まってこう答えます。「小学5年生の時のいじめと、高校の部活の夏合宿です」と。起業してから経験したどんな困難も、あの時の辛さには及びません。世界から見捨てられたような、自分だけがダメなのだと思い込んでしまったあの経験。それを母の愛情という土台の上で乗り越えられたからこそ、今の私があるのです。