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「材料が主役」のモノづくりへ——ボーイング社との信頼が紡いだ航空宇宙イノベーションの軌跡
日覺 昭廣 2026/06/23
東レの経営戦略において、自社のコア技術を社会に役立てるための重要な鍵となるのが、異業種やグローバル企業との戦略的パートナーシップです。その代表例が、世界屈指の航空機メーカーである米国ボーイング社との長年にわたる強固な連携です。東レが誇る革新的素材である炭素繊維が、いかにして単なる部材の取引を超え、業界をリードするイノベーションを共に生み出すに至ったのか。その軌跡の根底には、壮大なビジョンの共有と、経営トップとしての緻密な対話、そして何よりも互いの強い信頼関係がありました。
東レが炭素繊維の商業生産をスタートしたのは1971年のことでした。当時の技術者や研究者たちの間には、「自分たちの作った素材で、黒い飛行機を大空へ飛ばしたい」という大きな夢があり、社内ではそれを「クロウ(CROW)プロジェクト」と呼んでいました。しかし、人命を預かる航空機の世界において、いくら革新的な素材であっても、実績や安全性の確証がないものを採用するリスクを冒す者は誰もいません。航空機に採用されるためには更なる研究開発投資と膨大な時間がかかることがわかっていましたが、どれほど高い理想や志があっても、事業として利益が出なければ研究開発を継続することは不可能です。そこで私たちは、航空機という本命の用途を見据えながらも、まずは釣り竿やコルフシャフト、テニスラケット、自転車といった、高機能であれば高価格が認められるスポーツ用途へ素材を供給し、地道に実績を積み上げていきました。
特に、カーボン素材で細くて長い釣り竿を製造するには、極めて精度の高い高度な製造技術が必要とされます。東レはこのスポーツ用品の市場でしっかりと「日々の糧」を稼いで開発費を回収しながら、同時にボーイング社の厳しい要求水準にも完璧に応えうる、微細な製造技術の基盤を徹底的に磨き上げていったのです。この足元の確かな技術蓄積に加えて、決定的な転機となったのは、元ボーイング社で航空機素材の購入責任者を務められていたカツモト氏が東レに加わったことでした。カツモト氏が両社の架け橋となり、東レの持つポテンシャルとボーイング社の要求特性を高い次元で合致させるための密接な人間関係と信頼の土台を築いてくれたのです。
ボーイング社との歩みは、安全性を最優先とする航空業界のルールに則り、極めて着実なステップを踏むものでした。最初は、万が一のことがあっても致命的な事故に繋がらない非構造材や、二次構造材と呼ばれる部品から採用が始まり、厳しい試験や実際の運用を経て信頼性を一つずつ確認していきました。その後、機体の骨格にあたる一次構造材としてボーイング777の尾翼などへの採用を勝ち取り、実績を裏付けました。そしてついに、胴体を含めた全構造材に炭素繊維複合材料を適用した最新鋭のボーイング787型機への全面採用という、歴史的な快挙へと結びついたのです。1機あたりの炭素繊維の使用量は、従来の1.5トン程度から約35トン(機体重量の約50%)へと劇的に拡大しました。
この戦略的パートナーシップは、航空機のものづくりのあり方そのものを根本から変革させました。従来のアルミニウム合金を用いた製造では、航空機メーカーが機体を設計し、サプライヤーはその仕様に合わせて部材を納入するだけの関係でしたが、炭素繊維においては、材料特性を熟知した東レとボーイング社が開発の初期段階から密に連携しました。世界中の部材メーカーとチームを組み、素材のポテンシャルを最大限に引き出す機体設計を行うことで、787型機が誕生したのです。
すなわち、これまでの「設計に材料を合わせる」形から、材料の強みを起点とする「材料が主役」のモノづくりへと業界のパラダイムをシフトさせました。この結果、機体は劇的に軽量化されて20%の燃料節約を可能にしただけでなく、強度の高さを活かして窓を30%大きくし、機内圧や湿度を地上と同等のレベルに近づけるという、乗客にとっても圧倒的に快適な客室環境までもが実現したのです。
この取り組みは、2014年の777X向け供給契約以降、さらに新たな次元へと進化し、現在も10年以上にわたって強固に継続しています。以前もお話しましたが、通常、米国企業はサプライチェーンのリスク管理として2社購買を鉄則とします。かつて日本の優れた半導体技術が、1社購買を嫌う米国市場のルールの波に飲まれ、結果として技術が他国へ流出してしまった苦い歴史もありました。ボーイング社からも「東レ1社に依存していて大丈夫か」という懸念が呈された際、私は当時のマクナーニ会長に対し、単に素材を売るだけでなく、私たちの持つ技術力でボーイング社側の製造プロセスの改善や生産安定化を全面的に支援する、という広範な共同開発プロジェクトを提案しました。
彼らが驚いたのは、東レが単に糸を作るだけでなく、自前の「エンジニアリング開発センター」を擁し、高度な製造装置そのものを自社で設計・開発できる、傑出した設備技術を持っていた点でした。この強力な提案が受け入れられたことで、私たちは単一の部材ベンダーから脱却し、相手の競争力を中核から高める唯一無二の戦略的パートナーとしての地位を確立したのです。この緊密な対話の裏には、当時のボーイング社の技術トップ(CTO)であったトレーシー氏が、学生時代から炭素繊維を学び、さらに奥様が日本人であったことから、日本人の実直な仕事ぶりや東レの技術の本質を深く理解してくれていたという、大いなる信頼の巡り合わせもありました。
ボーイング社は「新しく革新的なものをつくり、新しい世界を切り拓く」という明確なカルチャーを持っています。これは、同じく東レの戦略的パートナーであるユニクロの「世界の人のライフスタイルを変える」というビジョンとも通底するものです。グローバル企業との連携において最も重要なのは、目先の取引金額の交渉ではなく、こうした高い志やカルチャーを共有し、トップ同士が常に緊密な意思の疎通と信頼関係を維持することにあります。トップ間の信頼関係が現場での確固たる協業に大きな影響を与え、より一丸となって次の時代のイノベーションへと突き進むことができるのです。


