
「『正気の沙汰ではない』と言われた」赤字下の拠点...
8/5(火)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/07/28
Terra Charge(テラチャージ)株式会社およびTerra Drone(テラドローン)株式会社の徳重徹代表取締役社長は、まさに時代の寵児というべき、注目の経営者である。
2010年創業のTerra Motors(テラモーターズ)株式会社は、創業2年ほどで国内の電動2輪車市場シェアのトップに立ち、2017年にはインド国内で年間販売台数30,000台を突破した。2022年にはEV充電インフラ事業に参入し、2024年に現在のTerra Charge株式会社に社名変更。「すべての人にEVとエネルギーを。」をミッションとして、すでにEV充電インフラ導入実績では国内トップクラスとなった。さらにその間、2016年にはドローン事業にも進出してTerra Drone株式会社を設立。世界的ドローン市場調査ランキングでこれまで数回、世界No.1の栄冠に輝いている。
まさに破竹の勢いの55歳。さらに高いレベルでの目標を見据え、イーロン・マスクに代表される巨人たちやGAFAとの真剣勝負を切望する徳重社長に、そのエネルギーの源泉について伺った。
僕は29歳の時に思い切って損保会社を辞めてアメリカにわたり、シリコンバレーに飛び込みました。そこでベンチャー企業の支援をしていた時、まだ30代を過ぎたばかりの自分に、日本から来た通産省(現・経済産業省)や自治省(現・総務省)の役人が「産業はどうやって作るんだ」と質問をしてきました。当時、目の前ではGoogleが急成長していて、優秀な人材が次々と流れていっていました。つまり雇用を作って税収を生んで、それがまたスピンアウトして新しいベンチャー企業が誕生するという循環ができていて、これがまさに産業なのだな、と実感したんです。そして自分が目指すべきものも、こうした「産業を作ること」なのだと自覚しました。
その中で僕がEVの会社を立ち上げたのは、当時日本がどんどん落ちぶれていく中で、世界ではEVが広まっていく、このままでは日本の最後の砦である自動車産業が大変なことになってしまう、という危機感からの挑戦でした。
ただ僕が中途半端だったのは、EVの課題だった充電と距離の問題をクリアするために2輪と3輪を手掛けて、4輪には行かなかったということです。僕は日本の起業家の中では「クレイジー」と言われますが(笑)、イーロン(マスク)ほどのクレイジー度合いがなかったので、ちゃんと考えて起業してしまったなという反省があります。
シリコンバレーだけでなく、中国でもインドでも、ベンチャー企業が現れてイノベーションを次々に起こしています。一方で日本にはメガベンチャーが現れない。私は頻繁に海外に行っていますが、帰国するといつも「この日本の空気感で、本当に世界に勝てるのか」と怒りのようなものが湧いてくるんです。この怒りが原動力になっているのかもしれません。
チャレンジをしないからです。特に今の日本の大企業が駄目なのは、失敗を恐れてチャレンジをしないことです。そもそも新規事業を立ち上げる、スタートアップで成功するのは本当に難しいことです。何が成功するのか読み切れるのは「神の領域」だと、僕はよく言っていますが、新規事業のチャレンジはほぼ失敗の連続です。大きなチャレンジをすれば当然失敗することもあるし、挫折すればその時は大変にショックですが、人間は強いもので1ヶ月、2ヶ月もすれば悔しくなってきて、エネルギーが湧いてくる。挫折から立ち上がってもう一度チャレンジすることが、ものすごく大事だと思います。
映画『ターミネーター2』に登場した強敵のアンドロイドが、液体窒素で固められた上で銃撃されて粉々になるシーンがありますが、僕は失敗を経験してこのシーンのような気持ち、体が凍ってバラバラになったような気持ちになったことが、人生で8回はあります(笑)。でもそこから立ち上がってくる。何度も経験すると慣れてくるし、チャレンジして失敗をしても、「エネルギーが足りなかった。今は力を蓄えるプロセスだ」と思えば前向きになれる。今の若い人には、こうした経験が足りないようにも思います。
そうです。僕は自慢話として話すのですが、そうやって一人当たり5,000万円から5億くらい会社に損をさせています。その彼らが今、会社の役員として屋台骨となっているケースが多いのです。
現在、30代半ばでTerra Droneの役員を務めている者もその一人ですが、これまで3回、4回と失敗を重ねてきています。さすがにその彼が落ち込んで元気がなくて、「社長、僕がこの会社の日本代表やってていいんですかね…」と言った時、僕は明治から昭和初期にかけて活躍した一人の大実業家の話をしました。
その人物はセメントを中心とした事業で、京浜工業地帯を作り上げた浅野総一郎という人です。60代からおよそ15年をかけた壮大なプロジェクトで、海しかない場所を工業地帯にしてしまった。僕はイーロン・マスク並みにすごい人だと思って尊敬しているのですが、まさに「九転十起の男」と呼ばれています。七転び八起きどころじゃない。失敗を重ねてそのたびに立ち上がって、もう一度チャレンジをして、という人です。その人の話や本やビデオを見せて元気づけました。彼がどれだけ感じることができたかわかりませんが、今はかなり立派になって、役員として頑張っています。
なぜ自分がこれまで幾度もの失敗から立ち直ることができたのか、自分自身の強みとは何かということを考えると、やはり大学時代から歴史が好きで、坂本龍馬はもちろん高杉晋作や吉田松陰、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』にも登場する児玉源太郎といった人物たちのことを勉強して、その生き方を尊敬して憧れてきたことがあるかもしれません。ソニー創業者の一人である盛田昭夫さんの本なども大学時代に徹底的に読んで、ソニーのヒストリーをそらんじることができるくらいです。現在、自分が会社を経営する側となって、これらの本を改めて読み直した時、やはり本質は変わらない。自分は知らず知らずのうちに若い時に、偉大な先人のエッセンスを吸収できたことが、他の経営者と違うところなのかもしれない、と感じています。
世界で戦っていて実感するのは、勇気や胆力が必要になるということ。強烈な意思や理念がどれほど大事かということを思い知らされますが、かつての偉大な日本の経済人や政治家たちには、そうした胆力があったと思います。翻って現在の日本のリーダーたちを見てみると、そうした尊敬できる人物がなかなか見当たらないというのが僕の印象です。
僕が若い社員の人たちに、過去の尊敬すべき先人たちの生き様も頻繁に話して聞かせているのも、やっぱりもう一度、大きく変わらなきゃいけないと思っているから。もちろん全員に響くとは思わないですが、そこから日本を変えてくれる人材が出てくるはずです。失われた30年といいますが、もう40年になってしまいます。そろそろみんな目を覚ましましょう。私はそう思っています。