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最大公約数のルールを超えて——女性が真に輝けるキャリアを創り出した『現場発』のダイバーシティ
日覺 昭廣 2026/06/25
東レの人材戦略を語る上で、女性活躍やダイバーシティの推進は極めて重要なテーマです。東レは育児休職制度を国に先駆けて1974年に導入し、1993年には女性総合職(現在のGコース)の本格採用を開始するなど、時代を先取った施策を展開してきました。2004年には「女性が活躍できる企業文化の確立」を掲げたプロジェクトも始動させ、制度面や両立支援の拡充を着実に進めていったのです。
しかし、制度が整っても、2年ごとに実施する社員の意識調査(従業員サーベイ)では、女性の「昇進意欲」に関する回答において「できる限り昇進したい」と答える人が少なく、専門職を志向する割合が多いという明確な傾向が見られました。管理職という組織の責任がある役職に就くことで仕事が多忙になり、家庭との両立が難しくなるのではないかという懸念が、彼女たちのキャリア形成の心理的な壁になっていたのです。
同時に私たちは、女性社員特有の事情を周囲が慮るあまり、男性社員と比べて十分な挑戦の機会やキャリアアップへの道が、無意識のうちに閉ざされてしまっているのではないかという反省に至りました。会社としての制度は全体を対象とするため、どうしても「最大公約数」の仕組みにならざるを得ません。しかし、育児や介護など、直面している家庭環境は10人いれば10人とも全く異なります。本当に「頑張りたいと思っている人が、事情に阻まれずにしっかりと頑張れる環境」を整えるためには、一律のルールを上から適用するだけでなく、現場の多様な現実に即して個別具体的に対応していくきめ細かなアプローチが不可欠でした。
こうした問題意識を持っていたさなか、内部から自発的な動きが起こりました。2011年、新たに課長に昇格した女性管理職の5、6人をお祝いする内輪の会合を、社員がセッティングしてくれたのです。翌2012年5月にはその輪が広がり、総勢20名ほどの女性管理職昇格お祝い会が開催され、私はそこにサプライズゲストとして参加しました。
以降、私は東京と大阪で開催される昇格お祝い会へ定期的に参加し、さらには年に2回ほど女性部長層との食事会を開催するようになりました。昇格お祝い会は20~30人の女性幹部たちの中に男性は私一人という空間でしたが、私自身、姉3人と妹1人の5人きょうだいの家庭で育ち、高校も女子生徒が7割を占めるような環境で過ごしてきたため、何の抵抗もなく彼女たちの率直な本音に耳を傾けることができました。 この女性部長層との直接対話の場を、彼女たちはいつしか親しみを込めて「日覺塾」と呼ぶようになりました。私は塾生たちに、「男女で能力の差は全くない。まずは家庭や生活のベースがしっかり成り立ってこそ、仕事で最高のパフォーマンスが発揮できる。そのための環境を個別に整えていくことこそが会社の役割なのだから、女性特有の課題を同じ目線で捉え、現場から解決の仕組みを考えてほしい」と伝えました。課題を心配して躊躇するよりも、まずはやってみて、うまくいかなければその都度軌道修正すればいい、と彼女たちの背中を押したのです。
この対話から、2014年8月に会社公認の「女性管理職研修」が手作りの活動として立ち上がりました。企画運営を担った日覺塾のメンバーは、人事や営業、研究開発、品質保証など各現場の最前線で活躍する7人の部長たちでしたが、研修の企画に関しては全員が素人からのスタートでした。女性だけを対象とする研修が社内に受け入れられるかという不安を抱えながらも、彼女たちはゼロからテーマを決め、講師探しにも奔走してくれました。第1回の研修には、かつて東レに入社し、後に横浜市長となられた林文子氏をお招きしました。林氏は、女性管理職が主導して活き活きと100人規模の手作りの研修を運営している東レの変革ぶりに、深く感激されていました。
女性部長層が自主的に運営するこの研修は、回を重ねるごとにブラッシュアップされています。第1回で「自身の現状を棚卸しする気づき」を促したあと、さらに高い個人目標へ落とし込むため、研修を3回ワンパッケージの構造へと再構成したのです。第2回では、3人の子育てをしながら工場出身初の女性理事となった社内のロールモデルである社員が登壇し、自身の経験を講演してもらい、さらには介護や海外勤務を乗り越えた女性社員とのパネルディスカッションを通じてリアルな知見を共有しました。多様な環境下で生き生きと働く先輩の姿から、参加者たちは大きな勇気を受け取っていきました。
この草の根の活動は、やがて確固たる成果を上げ始めます。第一段階として「女性管理職同士の情報共有と環境改善」を達成した彼女たちは、次に、管理職手前の係長クラスで退職してしまう「若手のキャリア継続」という第二段階の課題に着目しました。そして、女性の若手社員に向けた懇談会の実施やウェブサイトの充実、メンター制度の構築などの分科会活動を通じて、キャリアアップへの不安を解消していく仕掛けを次々と形にしていったのです。
私自身も、こうした現場の機運の高まりに合わせて、経営の意思決定として大胆な登用を進めました。周囲が「これを受け持たせたら可哀想ではないか」と過度な配慮をしてチャンスを奪うのをやめさせ、「まずは本人にチャンスを与え、対話をして事情を聞く」という関係性を徹底したのです。「子供が受験だから1年待ってほしい」という要望があれば当然待ちますし、逆に本人が望めば、夫を日本に残したまま子供2人を連れて、タイやシンガポールへ女性の単身赴任として海外駐在へ送り出すような先進的な試みも、次々と実行しました。社員側からも「子供を連れてシンガポールへ赴任したいのですが、体制はどうなっていますか?」と、社長である私へ直接ざっくばらんにメールで相談が届くほど、強い信頼関係が構築されていったのです。
2012年から12年以上にわたり、現場発の手探りで継続してきたこの女性活躍推進活動は、2024年に大きな実を結びました。同年12月の第8回研修会での提言と行動宣言のとりまとめをもって自主的な活動としての役割を全うし、次なる第三段階へと移行することになりました。2024年8月、東レは「人を基本とする経営(Human Centric Management)」を全社で推進するためのHCM推進活動を開始し、女性に限らず多様な人材が活き活きと働き、価値創造につながる組織を実現するための推進部署としてHCM推進グループを新設しました。現場主導で始まったきめ細かな個別最適のDNAは、いまや会社の正式な人事施策の体制へと完全に引き継がれ、組織全体に深く根づいています。
企業の盛衰は人が制し、人こそが企業の未来を拓きます。制度という言葉や数字だけの目標を掲げて形だけで時流に迎合する「女性活躍室」のような組織を作っても、現場は変わりません。頑張りたいという強い意志を持つ人間に対し、個々の家庭の事情にまで寄り添って、自発的に力を発揮できる環境を整えてあげる、この「人を基本とする経営」の本質を組織の血肉にしていった日覺塾のメンバーたちが、これから東レの役員となり、次代の東レの発展を力強く牽引していくリーダーとして活躍してくれることを、私は心から期待しています。


