Diamond Visionary logo

11/4()

2025

SHARE

    英語への興味から外資系へ――35歳に訪れた転機

    英語への興味から外資系へ――35歳に訪れた転機

    私の本格的な勉強は、極めて遅いスタートでした。高校1年の3学期になって、ようやく受験校を目指そうと決意し、そこから猛勉強を始めたのです。

    最終的に早稲田大学の文学部に入学しました。実は、高校時代にお世話になった英語の先生が、早稲田の文学部英文科出身だったのです。しかし、いざ入学してみると、「文学部じゃ、これでは金儲けができないのではないか」と現実的に考え始めました。そこで、文学部で学びながらも、法学部や経済学部の勉強もしたいと考え、結果として両方の学問を修めることになりました。

    大学時代は、とにかく英語をマスターしようと、ESS(英語会:English Speaking Society)の活動に多くの時間を費やしました。全国大学生英語スピーチコンテストがあり、自分の英語力を試すために挑戦しました。結果、優勝はできませんでしたが、入賞となり、帰国子女でもない私にとって大きな自信となり、さらに勉強することになりました。

    また、英語演劇大会でも、日本の民話を英語劇にするという極めて画期的な試みを実施し、その大会で優勝することができました。このような実績が、就職活動でも大きな価値となったと思います。

    この成功体験から、私はますます英語が好きになり、学生時代は英語の演劇やスピーチといった活動に、より熱中していきました。そして、就職するなら、やはりこの英語を使える会社がいい、と考えるようになりました。

    私が卒業した1971年頃は、今のように外資系の企業が市場に溢れている時代ではありませんでした。化粧品にせよ、自動車にせよ、今では多くの外資系企業がありますが、当時は非常に限られていたのです。

    そんな中、コダック(Kodak)という会社に惹かれました。当時アメリカの超優良企業であり、世界の写真業界を席巻していました。「よく映画で見るあのコダックで働けたら」という憧れがあったのです。そのコダックの日本における総代理店が、長瀬産業という商社でした。長瀬産業は、三井物産や三菱商事のような巨大総合商社ではありませんが、化学品や機械なども扱う中堅の優良商社で、コダック事業はその柱の一つでした。

    そうして長瀬産業に入社し、幸運にも希望していたコダック製品機能本部に配属されました。そこでマーケティングやパーチャシング(購買)といった業務を担当することになったのです。

    長瀬産業は上場企業ですが、私が所属していたコダック本部は、当時部署単体で600人もの人員を擁しており、実態は「一つの外資系企業」のようでした(最終的にはコダックジャパンという日本法人になります)。日本の会社に籍を置きながら、私は外資系のビジネスのやり方、マーケティング手法を学び、購買業務を通じて英語も存分に使うことができました。

    折しも日本はバブル絶頂期。売上も順調で、社会全体が活気に満ちていました。私も仕事が楽しく、面白く、かなり懸命に働きました。そして35歳頃まで、その環境に身を置くことになります。

    私は、2〜3年ごとに職を変える「ジョブホッパー」と呼ばれるようなタイプの人間ではありません。勤めた企業に対する忠誠心のようなものも持っていますし、コダックの仕事も大好きでした。しかし35歳の時、ある転機が訪れます。

    アメリカのコダック出身で、当時スポルディング(Spalding)という大手スポーツ会社の社長に就任していた方から、声をかけていただいたのです。彼はコダック時代の上司であり、私のことを気に入ってくれていました。「うちの会社に来ませんか?」と。それが私の初めての転職でした。

    当時は、今のように転職が一般的ではありませんでした。私の同期は90人ほどいましたが、会社を辞めるのは父親の事業承継をするといった理由がほとんどで、他の会社に転職するために辞める人間はほぼ皆無でした。

    しかし私は、現状に満足するよりも、「よりエキサイティングな仕事がしたい」という思いが強くなっていました。スポルディングジャパンが提示してくれた給料やポジションといった条件が、それまでのものより良かったことも事実です。今でこそ、条件が良く、より心地よい会社へと移ることは若者にとって当たり前かもしれませんが、私はその「先駆け的な人間」だったのかもしれません。

    かくして「次長」という肩書でスポルディングに移り、マーケティングと海外からの製品購買という職責を担いました。次長という立場ではありましたが、社長は私を信頼し、実質的にはナンバー2かナンバー3に相当する広い責任範囲を任せてくれました。

    マーケティングから海外営業、購買に至るまで、本当に様々なことをやらせていただきました。任される裁量が大きかった分、私のモチベーションも非常に高く、このスポルディング時代に、経営に関わる多くのことを学び、貴重な経験を積むことができたのです。

    #浅見隆#コダック#スポルディング#ジョンソン・エンド・ジョンソン#レブロン#グローカリゼーション

    あわせて読みたい

    記事サムネイル

    「ゼクシオ」を育て、松山英樹をサポートした男。ダ...

    記事サムネイル

    「ゼクシオ」を育て、松山英樹をサポートした男。ダ...

    記事サムネイル

    「経営は下りのエスカレーターだ」――赤字牧場を再...

    記事サムネイル

    なぜコーナンは「できません」と言わないのか? 新...

    記事サムネイル

    「全権」を条件に、再建の道へ

    Diamond AI trial

    ピックアップ

    Diamond AI
    Diamond AI