
「人と社会に直接貢献できる仕事」――日本語教育を...
5/22(木)
2025年
SHARE
八木原 保 2025/05/01
株式会社羽田未来総合研究所 代表取締役 大西洋様から「原石からダイヤへ」への執筆を紹介いただきました。大西様とは伊勢丹入社以来、社長に就任された8年間にわたり大変長い間お世話になり、私の最も尊敬する方でいらっしゃいます。
大西様からの推薦をいただき、ご期待にお応えできるだろうかと思いましたが、ご縁と思い引き受けさせて頂きました。また、ダイヤモンド・ビジネス企画様が起ち上げた、企業や個人、組織の真実を届けるための新たなメディアとお伺いし、僭越ながら筆をとらせていただきます。
私は1940年、6人兄弟の四男として埼玉県行田市の星宮で生まれました。実家は代々続く農家で、自分も将来は当然農業に関わる仕事に就くものと思っており、兄弟4人が通った県立埼玉農業高等高校に通いました。
高校2年生の頃、日本もようやく戦後の復興が進み、日増しに社会が発展する中、このまま狭い視野の中で過ごして良いものかと考えるようになり、何も知らない東京への憧れを募らせていきました。学校の先生に就職をお願いし「東京で一旗揚げたい」との一念で高校卒業後、高校の先輩を頼りに東京都台東区に事務所を置くニットメーカーに住み込みで働きはじめました。入社して初めてわかったことですが、3食食事付きで、朝は5時から夜は10時頃まで働く、丁稚小僧そのものでした。どうしたら社長に認めてもらえるか、思い付く限りのやれることは全て実践してきました。今思い起こせば、この6年間の貴重な経験が自分の人生を決定する重要な期間でありました。
その頃の日本のファッション業界は大きな転換期を迎えておりました。衣料品は単なる生活必需品からファッションに変わりつつありました。三越や伊勢丹が欧州のブランドを取り扱い、急速に環境も変化し、イタリアの商品やトラッドファッションに身を包んだ若者が街を闊歩するようになって参りました。この変化の背景には大きな生産革新がありました。ニットの編み機の性能向上と生産技術の合理化によって、糸と編み機を駆使して多彩な編み地の開発と奥深い表現が出来るニットの可能性にのめり込んでしまいました。ただやる気と情熱は誰にも負けない。経験は未知数だが「ニットの世界で自分の力を試したい」――入社7年目にして、私は独立を決意しました。
東日本のファッションの中心地は、日本橋・人形町・堀留・浅草橋地区に全体の約90%が集まり、お金と商品と物流が動いておりました。私は東京に来て都内の色々な場所を見てまいりました。はじめて原宿の表参道を見た時の感動は今でも忘れません。調べてみると、明治神宮が105年前に創建され、その時に表参道が出来た事を知りました。こんな環境に恵まれた場所は他にないと思い、いつかここで会社を設立し、住居を構えられたら良いと胸の内に刻んで働き続けていました。
1965年、資金もなければ人脈も経験もない。まさに“ないない尽くし”の中、なんとか事務所、倉庫、住居を構え、創業に踏み切りました。当時の原宿は山手線で原宿駅に列車が停まっても降りるのはたったの5~6人とあまりにも利用客が少なく、夕方の竹下口は封鎖されていたほどでした。渋谷と新宿の間に挟まれた閑静な住宅街でありました。
創業してから3年間位、仕入れ先も販売先も相手をしてくれず、早く見切りを付けた方が良い位に悲惨な日々の連続でした。元々負けず嫌いで、人のやらない事を率先し、実行し、少しずつ協力者が増えてまいりました。何も分からなかった私ですが大それた野望を持っておりました。
この5つを胸に秘め今日まで戦い、今年設立60周年を迎えることができました。
私の人生の節目は
今、日本経済もファッション業界もなかなか突破口を見出せない大転換期を迎えております。1月には米国でトランプ大統領が就任し3か月半が経過致しました。アメリカ第一国益を優先し高額な関税を各国に発動し(相互関税)各国は関税応酬に追われ世界経済は予測のつかない経済危機を迎えております。ビジネスだけでなくロシアのウクライナ侵攻や中東情勢の緊迫などにも影響を与えると見られています。国内では4月に関西万博、7月の参院選、12月には従来の健康保険証の有効期限が切れます。インドが中国の人口を抜き、世界人口が82億人を超えるのも今年のようです。
その一方で、日本の人口は約5人に1人が75歳以上の後期高齢者となり、社会保障費の増大や労働力不足の深刻化が懸念されます。困惑・苦悩・不安――109万人の18歳成人たちにとっても、今年は時代の重大な変化の年となりそうです。
こういった大転換期をどう乗り越えて進んでいくべきか大きな岐路に差し掛かっております。日本経済、ファッション業界を背負っていくのは、やはり若者です。新しいビジネスに挑戦し、私が何もわからない中、がむしゃらにチャレンジの連続で今日まで歩んでこられたのも、燃えるような情熱と、失敗しても再チャレンジを続けていく。そこで初めて認めてもらえる。そんな姿勢を持った人が次の世代の中で一人でも多く育っていって欲しいものです。これまでの私の経験が、これからの人達に少しでもお役に立てればと思います。
1本のニット糸から無限の可能性が広がっていくように。 可能性は、誰にでもあります。