
「人と社会に直接貢献できる仕事」――日本語教育を...
5/22(木)
2025年
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八木原 保 2025/05/07
原宿という、当時未開発の土地で会社を設立し、当初は厳しいながらも何とか事業を軌道に乗せた。すると地域の人たち、町会長やさまざまな立場の人たちが徐々に協力してくれるようになった。取引先などと同じように、町の人たちともネットワークが広がってくるようになり、地域の有力者たちと付き合いができるようになってきた。
それはやはり、私がこの地に居を構えたことが大きな要因だったと思う。もし私がこの地に会社だけを作り、他の地域に居を構えて通ってくるような生活をしていたら、こうならなかっただろう。自分の子どもたちも地元の東郷幼稚園や神宮前小学校に通っていたから、地域の人たちとのネットワークに発展したという面もあった。子供が幼稚園に通うと親同士の集まりがあり、そこで地域の有力者と徐々に親しくなっていった。自分もその人に家のことを頼み、一方で地域の有力者たちが私を引き立ててくれて、一緒にさまざまなところへ行っては紹介をされるという形でビジネスが広がっていく。神宮前の有力者とは3人ほど、そうした関係性を築くことができた。
そのうち有力者から、「町がうまくいってないからまとめてくれ」と頼まれるようになった。断り続けていたが、結局引き受けることとなり、原宿神宮前商店会なるものを設立して地域との関わりを持ち出した。私も頼まれたら期待以上のことをやって応えたい性分なので、関わっている人に対して喜んでもらいたい、力になりたいという思いが生まれ、そのような気持ちがこのような形で広がっていったのだろう。
思えば最初のうちは、関係の構築に苦労した。町を乗っ取られると思って警戒されたのか、最初の1年か2年は商店街の人たちからは全然相手にしてもらえなかった。挨拶に行っても会ってくれない、ということもあった。もちろん私も粘り強く誠意を持って対応するうちに、だんだんと打ち解けていった。よく人からは「八木原には私利私欲がない」と言われるが、私はそれほど計算をして立ち回っていない。普通なら他人に何らかの見返りを求めて接するし、自分にもそのような面が全くないわけではないが、それよりも相手に喜んでもらいたいという思いの方が先に来る。きっとそういうところを理解していただいたのだろうと有り難く思う。原宿神宮前商店会の地域は「裏原」と呼ばれるようになり、今ではストリートファッションの中心となっている。
そのような形で地元と関係を持つうち、原宿にとどまらない勢いで地域との関わりを持つに至っている。20年ほど前、当時の桑原敏武渋谷区長から「どうしたら渋谷の街を東京23区で特徴のある街にできるのか」と相談を受け、東急の野本弘文氏(現・東急電鉄代表取締役会長)や文化服装学院の故・大沼淳理事長ら8人と会議をやって、最終的にファッションと観光の街にしようというプロジェクトを立てた。私はファッション部門の担当として働き、その後狙い通りファッションの街にできたことを誇りに思っている。
なお今は、東郷神社の責任役員も務めさせていただいている。地元の神宮前の居住者でも三代にわたって住まなければ選ばれる資格がない役職だったが、こうして受け入れていただいたのはたいへん光栄なことだと考えている。