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2025

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    大手銀行を断りベンチャーへ。配属2ヶ月目の激震

    大手銀行を断りベンチャーへ。配属2ヶ月目の激震

    大学の3、4年生になると、すっかり生意気な学生になっていました。スポンサーをつけて、イベントを企画して、どこか勘違いをしていたのだと思います。

    しかし、自分の中ではやりたいことをやっていました。人と人とをコネクトして、いい空間を作ると、それは地球上でオンリーワンの場所になる。一方、当時は不動産バブルに向かう市況だったため、単に安く土地を買って高く売る、ということが当たり前に行われていました。私は、そこに強い違和感を覚えました。勝手に土地の価格が上がるというのは、おかしいのではないか。本来、いい空間を作り、そこに人が集まり、継続的に営みができて初めて価値のある空間になる、と思っていたからです。

    だからこそ逆に、不動産会社に入ろう、と思いました。なぜそれがビジネスとして成り立つのか、その手法を学びたいと思いました。まず、三井不動産を受け、次に三菱地所を受けました。私は企画が好きなので、就職試験にもかかわらず、当時タンカー不況だったのでタンカーをマンションやホテルにリノベーションする提案など(笑)、企画書を持参しプレゼンテーションをして回りました。40年前のことなのでそんなやつは当時いなかったのでしょう。私のプレゼンを聞いて、ポカーンとしていた面接官が、「いや、楠本さんね。面白いけどちょっと、うちはあなたが来るようなところじゃないと思います」と言われ、いずれも不合格になりました。

    ここで私を拾ってくれたのが、住友信託銀行でした。当時、土地信託を積極的にやっていた頃です。人事の方から「お前、面白いな」と言われ、内定をいただいたのです。そこで私は、「世界一、銀行員らしくない」と言われる銀行マンを目指そう、と決めました。

    そのような経緯で、住友信託銀行へ入社する予定でいたのですが、ある日公園で、リクルートコスモス(現・コスモスイニシア)に勤めていた一つ上の先輩に偶然会いました。先輩は、まだ入社1年目なのに、大きな権限をもって、どんどん土地を買い付け、仕込んでいたのです。自分自身、生意気な学生だったので、当時、会社に入社しても3年で辞めて独立しよう、と決めていました。そのためには、いかに若いうちから権限をもって、3年間で実践を得られるかが重要だと考えていました。そうして、「このビジネスは面白いよ」と言う先輩に、「やっぱ、そうすよね」と答えて、住友信託銀行を辞退しリクルートコスモスへ入社することとしたのです。

    この時点までは、幼少期の体験からなんとなく流れはつながっていました。世界を感じる風景の中で育ち、人との出会いの中で新しい価値観が生まれて、アトモスフィアを大切に、オンリーワンのものを作っていこうという感覚で動いてきました。そのためにビジネスを学ぼうと思って入社したのが、リクルートコスモスだったのです。

    しかし、ここから私の人生は急転しました。もともと不動産業を学ぼうと思っていたので、学生のうちに宅建を取得していました。リクルートコスモスの同期には、それくらい気合いの入った人間が多くいました。起業家(アントレプレナー)精神をもった人間だらけだったのです。当時のリクルートは、本当に起業家の輩出という意味ではすごかったです。私も不動産業を早く勉強して、さっさと独立しよう、などと思っていました。

    しかし、私が配属されたのは――なんと広報室でした。

    人事部に駆け込み、「これはビジネスじゃないです!」と抗議をしたのですが、「いや、でも君、大学時代に広告やってたでしょ。だから企業広告をやりなさい」と、一蹴されました。当時、リクルートコスモスは上場を目指していた中で、初めてのテレビコマーシャルを出稿することになっており、私はその担当者へと任命されました。

    しかしいざ入ってみると、面白い先輩がたくさんいました。また、社長とも距離が近く、社長室とワンチームだったのです。その環境も、すごく新鮮で、私の銀座勤めはスタートしたのです。

    しかし、そんな時間もたった2ヶ月半で終わりました。1988年6月19日、朝日新聞川崎支局にスクープされます。

    「リクルート社が、リクルートとリクルートコスモスの未公開株を、川崎市の助役に譲渡した」――と。俗に言う「リクルート事件」です。このニュースは、政財界を揺るがすセンセーショナルな贈収賄事件として、テレビや新聞で大きく報道されました。

    7月から8月にかけ、報道対象の中心は政界となり、多くの政界人が逮捕されるなどの事件が起こり、9月5日には、私の直属の上司も逮捕されました。その日付で、私は社長秘書へと異動することとなったのです。

    #楠本修二郎#食産業#foodbusiness#コミュニティ#zeroco#一次産業

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