鹿島学園サッカー部大躍進の裏にあった「鈴木雅人監...
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「3年以内に全国へ行けなければ退任」――無名校を25年で全国制覇へ導いた、鹿島学園・鈴木雅人監督 就任時の秘話
ビジョナリー編集部 2026/01/12
25年前、まったくの無名校だった鹿島学園。今や全国大会の常連としてその名を知らしめているが、長年「ベスト4」という高い壁に阻まれてきた。
しかし2026年、ついに悲願の選手権初優勝を果たし、高校サッカー界の頂点に立った。この快進撃の裏には、就任時に「3年で全国に行けなければ退任する」という背水の陣を敷き、ゼロから組織を構築した、鈴木雅人監督の揺るぎない信念があった。かつてない栄冠を手にした今、就任当初の知られざる苦悩から、選手を突き動かす独自の「負けの捉え方」まで、その指導哲学の核心を語ってもらった。
「3年以内に全国へ行けなければ退任する」――退路を断って挑んだゼロからの再建
鹿島学園の監督に就任された経緯と、当時の心境を教えてください。
私は17歳の頃には「サッカーの指導者になりたい」という目標を持っていました。教員免許を取得し、指導の場を探していた25歳の時、知り合いから募集の話を聞いたのがきっかけです。それまで茨城県には足を踏み入れたこともありませんでしたが、迷わず面接に向かいました。
当時の鹿島学園は、全国大会など夢のまた夢という、文字通りの無名校です。面接で当時の理事長に「県で優勝させたい」と意気込みを伝えると、「若いし、3年で全国に行けたら大したもんだが、現実は難しいだろう」という反応でした。期待というよりは、半ば「無理だろう」と思われている空気を感じたのです。
若かった私は、その空気に火がつきました。 「3年以内に全国に行けなかったら、監督を退任します」 そう宣言して、文字通り退路を断った状態で監督に就任したのです。
就任当初、具体的にはどのような行動を起こされたのでしょうか。
「絶対にやるしかない」という一心でした。迷いや不安を抱く暇があるなら、どうすれば実現できるかを考えて即行動する。なりふり構わず学校の寮に入り、自ら生徒を集めました。学校側にも働きかけ、サッカーの特待生制度の設立や、スポーツに専念できるクラスの編成など、理事長に頭を下げてわがままを聞いてもらいながら、勝つための環境を一気に整えていきました。
インサイドパスの練習で「首を振る」ところから。意識を変え、環境を整える。
最初に直面した大きな課題は何でしたか?
技術と意識、その両面でレベルが全く足りていなかったことです。技術面で言えば、本当に基礎の基礎からでした。例えば、手で投げたボールを足で返す練習やインサイドパスの練習です。
「パスを出す前に周囲を確認するために首を振れ」と指導すると、なぜかボールを投げる側の生徒が首を振ってしまう。「お前じゃない、パスを返す方が振るんだよ」と修正するような、初歩的な段階からのスタートでした。今となっては、それすらも楽しい思い出です。
選手のメンタル面には、どのようにアプローチしたのでしょうか。
当初、選手たちに「全国大会」という目標を持っている者は一人もいませんでした。ですから、まずは 「現実はこうだが、それでも全国に行くんだ」という目標を執拗に伝え続け、意識に刷り込みました。
1年目は、私の熱に押されて無理やりやっていた生徒もいたでしょう。厳しい指導に恐怖を感じたこともあったかもしれません。しかし、私には「うちに来てくれた子は、みんな可愛い」という強い想いがあります。これは就任時から今も変わりません。
環境が人を変えます。「そんなつもりで入部したわけじゃない」という戸惑いを持つ生徒に対しても、熱を持って全力でぶつかりました。そうして練習や試合を重ねる中で、ふと「もしかしたら行けるかも」という空気が生まれる瞬間がある。その瞬間を見逃さず「できるぞ!行くぞ!」と声をかけ続けることで、少しずつ、しかし確実に選手たちの意識が変わっていったのです。
サッカーはエンターテインメントではない。「負け」を「気づき」に変えるプロセス論
試合を通じて選手たちが限界を感じた際、どのようにやる気を維持させましたか?
私は選手や保護者の方々に、よくこう伝えます。「サッカーはエンターテインメントではない」と。
必ずしも思い通りにはいかないし、絶対に勝てる試合もありません。負けないことなどあり得ない。だからこそ大事なのは、「負けを負けのままにしない」 ということです。
どこで負けたのか。勝敗を分けたのはどのプレーだったのか。あの瞬間、何をすべきだったのか。それを突き詰めて考えることで、「あの失敗を糧にしたから成長できた。だから、あの時の失敗は失敗じゃなかった」と言えるようになろう、と話をしています。
その考え方が、今回の全国制覇という結果にどう繋がったのでしょうか。
例えば、一瞬のプレスの遅れでシュートを打たれ、敗戦が決まる。高校サッカーでは、そのワンプレーが3年間の終わりを告げることもあります。落胆する選手たちに、私は「それが高校サッカーだ」と伝えた上で、翌年、同じ光景を繰り返さないためのプロセスを重視させます。
負けは、次に勝つための「気づき」でしかありません。もし次も負けたなら、さらに猛省し、新たな気づきを得てプロセスを見直す。昨年の敗退と同じ場面が来たとき、練習の成果を出し、昨年とは異なるプレーを見せる。そのプロセスこそが最も重要です。
指導者は、選手と共に夢を追いかけ、日々学び続ける存在です。歩んできたプロセスが正しかったと、初めて自信を持って言えるのは、結果が出て報われたその日だけです。25年かけてようやく辿り着いた日本一という景色は、選手と共に積み上げてきたプロセスの証だったと感じています。


