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2025

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    晴れて「モテる人」となれた高校時代

    晴れて「モテる人」となれた高校時代

    高校2年生から3年生にかけての1年間は、私にとって忘れられない青春の思い出です。当時、野球部には県の選抜メンバーになるほどの好投手、東山さんという素晴らしい先輩がいました。その先輩のおかげで、私たちのチームは県大会でベスト8まで勝ち進むことができたのです。

    尊敬する東山さんから「このトレーニングをすれば球が速くなる」と、ボールを使った手首を鍛える練習方法を教わりました。その言葉を信じて、来る日も来る日も必死に繰り返しました。最初は1日100回だった練習も、最終的には1,000回もやるようになり、結果、その一冬で私の球速は劇的に上がったのです。

    春になる頃には、周囲から「ピッチャーをやれ」と推薦されるようになりました。とにかく球速だけは、自分でも驚くほど速くなっていました。卒業式の後、東山さんがグラウンドに来て「久しぶりにキャッチボールをしよう。高濱、お前がピッチャーばやっとるってホントか?」と声をかけてくれた日のことは、今でも鮮明に覚えています。先輩のグローブめがけてボールを投げた瞬間、「痛い! マジか! すごい、夢みたいだねえ」と言われた場面は、私の輝かしい青春のハイライトの一つです。

    しかし、にわかピッチャーには大きな問題がありました。足腰の使い方が分かっておらず、球は速いものの、結果はフォアボール、デッドボール、あるいは三振のいずれかという、非常に極端なピッチングしかできませんでした。リリーフで登板しても、結局は自滅。3塁ランナーへの牽制球が暴投になり1点を失った試合もありましたが、ヒットは1本も打たれなかった、というのが今となっては一つの成功体験です。

    少しだけですが、モテるようにもなりました。他校の女子生徒が応援に来てくれることもありましたが、「たいしたことないじゃん」という辛辣な声が聞こえてくるなど、にわかアイドルの悲哀も味わいました。それでも、一度でも「キャー!」という歓声を浴びた経験は、とても楽しい思い出です。

    一方で、体を鍛え抜いた代償は学業に表れました。校内で30番だった成績は落ち続け、しまいには500人中490番台にまで下がってしまいました。後で知ったのですが、不登校の生徒がいたため、実質最下位だったようなものです。私はもともと、一番下から這い上がるのをゲームのように楽しむ性分なので、成績が落ちても意に介さず、ひたすら野球とトレーニングに打ち込む日々は、ただただ面白いものでした。

    そんな野球漬けの日々の中で、私にとって一番の財産となったのは、マネージャーと付き合えたことです。高校2年生の文化祭で、あるクラスの企画した「熊高郵便屋さん」というイベントがありました。気持ちを伝えたい相手に手紙を送るというもので、私も何通か受け取りました。その中に、非常に綺麗な字で「あなたはずっと見ていたい人です。あまりそういう人はいません。そばにいたいです」と書かれた一通があったのです。

    その後すぐに、その手紙の主と思われる生徒が、マネージャーとして入部してきました。高校1年生の時に同じクラスで、年賀状のやり取りをしていたことを思い出し、まさかと思いながらその時の年賀状を確認すると、筆跡が同じでした。これには驚きました。

    ちなみに、私たちの学年には、後に有名女優となった宮崎美子さんがいました。高校2年生で転校してきた彼女は、まさに「超ウルトラマドンナ」で、その美しさは校内の大きな話題となりましたが、私にとっては恋するタイプではなく、心を揺さぶられることはありませんでした。学年で一番モテるのは、私の観測ではマネージャーの私の彼女で、同級生や先輩からたくさんのラブレターをもらっていましたが、私が「取っておかないでほしい」とわがままを言うと、捨ててくれました。

    私は、彼女に良いところを見せたくて、野球に一層熱が入りました。彼女が「スライディングキャッチが好き」と言えば、わざとスライディングして捕球してみせたり、自慢の強肩でホームでランナーを刺したりすると、彼女はとても喜んでくれました。私のプレーは、まさに彼女中心だったのです。

    お互い気持ちには気づいていましたが、それを口にすることはありませんでした。ところがある日、たまたま2人きりになった時、私が「文化祭の手紙のことだけど、分かっちゃったんだ」と切り出すと、彼女は「えっ」と驚いた顔をしました。続けて「僕も気持ちはある」と伝えようとした瞬間、彼女はそっと指で私の口をふさぎ、「言わなくていい」と言ったのです。その大人びた対応への驚きと指の柔らかさは忘れられません。

    この瞬間、「やはりそうだったんだ」と彼女の気持ちを確信し、私たちは正式に付き合うことになりました。野球に恋に生きたあの日々は、今でも私の宝物です。

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