「人口減少」を「希望」に変える——創業100年へ...
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人生はまだこれから ——とことんぶつかり、次の10年へと挑む
木村 清 2026/09/30
3歳で父を奪われた極貧の幼少期、15歳で飛び込んだ自衛隊での過酷な訓練とパイロット断念の挫折、通信教育で挑んだ司法試験、水産業界での怒涛の下積み、そしてバブル崩壊による80事業の喪失と負債の一括返済——。
振り返ってみれば、私の歩んできた道は決して平坦なものではありませんでした。常人であれば一度の敗北で立ちすくんでしまうような修羅場や試練が、何度も何度も怒涛のように押し寄せてきた人生でした。
そんな波乱万丈の半生を振り返ったとき、「もし、苦難と挑戦に満ちた20代、30代の自分に再び会えるとしたら、どんな言葉をかけてあげたいですか」と問われることがあります。
私は迷うことなく、満面の笑顔でこう答えます。
「おお、やってるか! 頑張れ!」
もしもう一度若き日の自分に戻れるとしても、私はもっといい道へ向かって「やってやる!」と叫び、まったく同じように泥をかぶり、全力で突き進む道を選ぶでしょう。私の歩みに「やって後悔したこと」など一つもありません。世の中には「そんなにやらなくても、少し楽すればいいのに」と言う人もいますが、私は嫌です。やってみなければ結果など誰にも分からないのですから。
そもそも、人間が持っているパワーやエネルギーを、いざという時のために使い惜しみして楽をしたところで、一体何になるというのでしょう。
身体が動き、筋力やパワーがある若い時期に全力を出し切らずに温存していても、年をとれば身体は嫌でも利かなくなっていきます。だからこそ、若いうちは自分のパワーをその日のうちに使えるだけ目一杯使えばいいのです。限界まで挑み、疲れたら「今日は寝るぞ」とバタンと横になって泥のように眠ればいい。しっかり一晩眠れば、次の日の朝にはまたパッとエネルギーが湧いてきます。
使い惜しみをして動かないでいることこそが、人間をダメにしていくのです。だからこそ、これから時代を担う若い世代には「疲れたっていいじゃないか、年をとったらできなくなるんだから今のうちだぞ。ぶつかってぶつかって、とことんやってみろ!」と伝えたい。
もちろん、講演などで学生さんに向かって話すときは、参加者の雰囲気や目の輝き、反応を見極めながら言葉を選びます。今、「すしざんまい」の現場には新しい若い世代がどんどん入社して、パッパッパッと要領よく仕事を覚え、本当に頑張ってくれています。
時代は常に変わり、若い世代へとバトンを渡していかなければ、後が続かなくなってしまいます。しかし、ベテラン世代には「世代交代だよ」と言いつつも、私自身が退くつもりは毛頭ありません。「そんなこと社長がしないでください、俺もやります!」と食らいついてくる若手と一緒に、私自身もまだまだ現場で踏ん張り、巻き込んでいく。冷ややかな批判をする人間がいれば、あえて自分から巻き込んでいって一緒にやる。そうすれば批判が批判ではなくなり、いつの間にか皆が同じ船に乗り、大航海を突き進んでいくのです。
最近は、1人で悩みを抱え込み、スマートフォンの画面やSNSなど顔の見えない相手やAIにばかり相談する若者が増えていると聞きます。自分が受け取りたい情報だけに閉じこもり、頭の中でばかり難しく考えてしまう。しかし、画面の向こうに本当の人生の方程式など落ちていません。
嫌な相手や壁にぶつかった時こそ、一歩前へ出て膝を突き合わせて話をする。それこそが、堅苦しい「教育」という言葉を超えた、人間が「生きていくための術(すべ)」であり、生きるための方程式なのです。
全30回にわたるこの連載も、いよいよこれで幕を閉じます。壮絶な道のりだったと言われることもありますが、私にとって自分の人生を振り返る時間は「あっという間」の出来事でした。しかし、これは過去の思い出話ではありません。悲壮感など一切ありません。私の挑戦は、ここからが本番だからです。
これから先の10年で、私はもっとすごいことをやってみたいと強く想っています。
過去の栄光に浸る暇があるなら、目の前のお客様や仲間を元気にし、笑顔になっていただくために身体を動かす。人と向き合い、関わるすべての人を巻き込み、喜びと情熱を伝染させていきたい——。
「人生まだまだ、これからだ!」
大きな夢と溢れる情熱を胸に、私はこれからも立ち止まることなく、泥臭く、そして誇り高く、未来へと走り続けてまいります。


